2026.08.26号
看板事業を手放して見えたもの(Vol.1)「本当に会社を支えていたのか?」
こんにちは。株式会社シンカの元社員(現・業務委託)の武田と申します。
いつも、メルマガをお読みいただき、ありがとうございます。
創業から30年の歴史のなかで、シンカの過酷な時代を経験し、今もなお、
第一線で挑戦を続ける社員と、当時を振り返る座談会を行いました。
激動のなか、社員はどのように感じ、どう行動してきたのか。
社員の当時のリアルな心境をメルマガにして、お届けします。
私は元社員ですが、現在も一部業務に携わっており、本座談会では聞き手を担当しました。
全5回に分けて配信いたしますので、ぜひお付き合いください。
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【第四回 座談会 Vol.1】
<テーマ>
かつてシンカの看板事業だった自社開発の採用管理システム。
その看板事業を撤退するに至った背景と、手放して見えてきたものとは?
<メンバー>
田中 裕也(代表取締役社長)、山内 綾子(ディレクター)、分部 理恵(マネジャー)、
村井 一美(プロジェクトマネージャー) 聞き手:武田 圭(元社員)
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武田:田中さん、シンカの看板事業と打ち出していた自社開発の採用管理システムを
撤退すると決めたのはいつ頃だったのですか?
田中:時系列を細かく覚えている訳ではないんですが、2015年の春には決まっていたと思います。
武田:撤退を決めたのには、採算面の問題が大きかったのですか?
田中:そうですね。シンカは長年、自社開発の採用管理システムをサービス提供していて、
システムを軸として、関連するアウトソーシングを合計すると
会社全体の売上の約6割を占めていたので、売上だけを見れば看板事業でした。
でも実際には、自社システムの保守や改修、問い合わせ対応など、見えないコストが多い上、
毎月のインフラコストがかかり、競合が新しい機能を出せばこちらも開発しなければならない。
追加の開発費も毎年かかっていたので、実は売上があっても赤字だったんですよね。
利益、運用コスト、市場環境を総合的に考えると、続けることが難しくなっていました。
武田:売上があることと、利益が出ていることは別だったんですね。
田中:そうですね。社内では経営陣から「いっぱい売れ!」って言われてて、
みんな頑張って、いっぱい売っていたので儲かっていると認識していたと思いますけど、
僕は、売り上げがピークの時でも、この事業は儲かっていないと思っていましたね。
自社システム+アウトソーシングサービスでトータルに付加価値を提供する事業でしたが、
システムだけを提供するお客様も多くて、値引きして売ってるのに、
使い方の問い合わせ対応や、訪問説明、お客様用のマニュアル作成までしていました。
人件費まで含めると、全然採算が取れていなかったんです。
さらに、その頃リーマンショックが起きて、景気のあおりを受けた企業の失注もあり、
全社売上がたった1年で4割も激減しました。翌年には、採用予算・採用人数の削減をする企業が多く、
管理部門の人員削減によって、複数媒体を使っていた企業が1媒体しか使わなくなった。
そうすると、複数媒体を管理するシンカのシステムの必要性は無くなって、
媒体会社が提供するシステムへの顧客離反が起こっていきました。
そこにもう一度お金をかけて機能競争に勝てるかというと、難しい。
看板事業でありながら、続けること自体に限界が来ていましたね。
武田:なるほど・・・。かなり厳しい状況だったのですね。
社員の皆さんは、当時、自社システム+アウトソーシング事業をどのように見ていたのですか?
分部:当時の自分は、会社の決定に対して、経営陣の考えでやっているから、
方針がおかしいと思ったことはなかったですし、「儲かっていない」とは思っていなかったですね。
ただ、会社のやっていることが、ちぐはぐだなと思うことはありました。
利益をしっかり生み出すために、細かく価格表を作って決めた金額にもかかわらず、
最後、受注するために一気にお値引きをしていたことが、意味が分からなくて、
儲かっているのか、儲かっていないのかが、捉えにくかったですね。
田中:当時の経営陣は、自社の採用管理システムが看板商品で、その導入を皮切りに
アウトソーシングを受注していくんだ、という方針を社員に伝えていたけど、
ところで、当時、みんなは、採用管理システムが看板商品だと思っていたの?
村井:私は、システムではなく、アウトソーシングが看板商品だと思っていましたね。
大きなプロジェクトに携わることが多くて、腰を据えてアウトソーシング業務を
やっていた期間が長かったので、システムを売っている感覚はなかったですね。
会社自体が儲かっているという感覚はあまりなかったのですが、
自分の案件については、それなりに利益が出ているんだろうなとは思っていました。
ただ、案件は利益が出ているのに、なぜ会社全体としては儲かっていないのか、
というところまで意識は向いていませんでしたね。目の前の仕事をやるのが精一杯でした。
山内:私は入社したタイミングで、「自社システムをもっと売っていこう」という流れでした。
コンサル会社と言われて入社したのに、システム販売営業をさせられたので、疑問はありつつも、
まずは、やってみなくちゃ分からないなという感覚で働いていました。
実際にお取引が始まれば、お客様をご支援できるし、分かりやすいきっかけになる商品、
という感じには思っていましたね。儲かっているかという視点については、
当時は、売上がすべて粗利のように社内で報告されていたので、分かりにくかったですね。
値引きしたとしても、売上は無いよりはあった方がいいのかなとは思っていました。
武田:リーマンショックによって、世の中の流れが変わったとのことですが、
撤退前の現場でも、変化を感じていたんですか?
山内:そうですね・・・
※続きは、また来週お届けします!お楽しみに!
編集後記
会社全体の売上約6割を担っていた看板事業が実は赤字で、さらにそれを
正確に理解していた人は、田中さんしかいなかった。そんな状況のようでしたね。
現場社員は会社の方針に従って、忙しい日々の中、お客様に向き合って
働いていたでしょうし、社内でも赤字の報告が無ければ気が付けないのかもしれません。
気が付かないうちに、大変な経営状態になっていたことが分かる会話でした。
次は、撤退前の現場で感じていたこと、という視点です。次回もお楽しみに!
執筆者プロフィール
シンカ元社員(現在は業務委託でシンカの仕事を一部請け負う)
武田圭
1991年生まれ。秋田県湯沢市出身。地元商業高校を卒業後、新卒で都内の鉄道会社へ就職。
転職経て、2016年に株式会社シンカへ入社。企業の採用支援アウトソーシングを中心に担当。
お客様に寄り添えるシンカの仕事にやりがいを感じていたものの、
夫婦での長年の夢であった世界一周旅行へ旅立つため、シンカを退職。
244日の旅を終えた後、課題先進県の地元秋田で地域創生の一助となれるよう
地域密着型の旅行会社を創業し、日々奮闘している。
秋田県湯沢市からのフルリモートで、シンカの仕事を一部請け負っている。