シンカメールマガジン
『 真価と進化 』

SHINKA Mail Magazine

← 一覧にもどる
2023.11.15号 VOL.209
福島第一原発を目の前にして

 こんにちは。株式会社シンカ代表の田中です。

 先日、知人からお誘いいただき、(株)サンアメニティさん主催、
NPO法人元気になろう福島さんが企画実施されている「福島伝承スタディツアー」に参加してきました。
https://genkifukushima.jp/tours/

 福島第一原発の構内に入って、原子炉建屋を目と鼻の先に見るというとても貴重な体験をさせていただきました。
 構内は、がれき除去が済んでいて、防護服を着ている作業員はほとんどおらず、整然と作業に取り組まれていて、
想像以上に安定した状態でコントロールされていて、なんだかホッとしました。

 それでは、『真価と進化 2023.11.15号』、最後までお付き合いください。

島第一原発を目の前にして


 実は、私は東日本大震災の2~3年後に、福島第一原発の近くまで様子を見に行ったことがあります。
当時は、人の気配ゼロ。信号はずっと黄色点滅のまま、脇道に入れないようにバリケードが張ってあって、
パトカーの赤色灯が所々光っている、異様な光景でした。

 それから約10年が経ち、現在の姿がどうなっているのか自分の目で確かめる貴重な機会をいただくことができました。
2泊3日で視察した主な場所は、以下の通りです。

●とみおかアーカイブ・ミュージアム
https://www.manamori.jp/museum/index.html/

●東京電力廃炉資料館
https://www.tepco.co.jp/fukushima_hq/decommissioning_ac//

●大熊インキュベーションセンター
https://okuma-ic.jp//

●福島第一原子力発電所
https://www.tepco.co.jp/decommission//

●震災遺構 浪江町立請戸小学校
https://namie-ukedo.com//

●中間貯蔵施設 地権者
https://www.facebook.com/okuma.future/

 帰還困難区域に指定された大熊町の震災前の人口は約1万人。
現在は約500人。住民票を置かない居住者が約500人で、合わせて約1000人。
うち震災前からの住民は約200人。公共施設、商業施設、住宅などは放射線汚染のために建て替えなければならず、すべて新築。

 福島第一原発の保全・廃炉作業に関わる作業員は、当日4,590人。
構内のがれき撤去は完了していて、防護服を着ていない方がほとんどで、想像以上に整然と作業が遂行されていました。
 さて、津波被害を受けた、請戸小学校の見学をした時のことです。
ポツンと1人立っている語りべの方に、ふと話しかけてみました。すると、語りべの方は、こうおっしゃいました。

「津波から避難した住民の方が、『オレは逃げてくる時に、○○さんの声を確かに聞いたんだ』と言いました。
ところが、明朝5時台にみんなで救助計画を話し合っているその時、原発事故によって10km圏内に退避指示が出て、
ついに助けにいくことができませんでした。」

 そこで私はようやく気付きました。

「ああ、フクシマといえば原発事故と思っていたけど、そうか、ここは『地震と津波と原発事故と風評被害』を重ねて受けた、
複合災害独特の悲しみを抱えた場所だったのか・・・」と。

 翌日、中間貯蔵施設・地権者の方のお話にも、複合災害ならではの行き場のない悲しみがあり、涙が止まりませんでした。

 自然と人間、経済と安全、被害者と加害者、絶望と希望、地方と都市、過去と未来、支援と自立、歴史と復興、悲しみと優しさ。
割り切れない堂々巡りな感情を抱えて帰京することになりました。

 興味のある方は、ぜひ各サイトなどをご覧になってみてください。

編集後記


帰京したその日、3.11当日のNHKの災害放送をYouTubeで一晩中流しながら寝ました。

観測された津波の第一報は、14:54に大船渡港で20cm。
地震が多い岩手県生まれの私としては、「ああ、またいつもの、何も来ないのに大げさな警報か」
と、ワンセグTVを観ながら思った記憶があります。

悔やんでも悔やみきれない。かといって、自分に何ができたわけでもない。

この言葉にしきれないモヤモヤした気持ちと向き合って、福島にできるだけ心を馳せて生きていきたいと思います。

それでは、次回もお楽しみに!

田中 裕也